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内田樹の「困難な結婚」レビューで結婚の極意を学ぶ

 

 

 

こんにちは。歯科衛生士のナカタ コマチです。

 

 

「日本辺境論」「街場のメディア論」「街場の文体論」などなど、たくさんの著作がある、武道家であり思想家の内田樹さんですが、

 

 

わたしがこれまで読んだ内田作品のなかでも、今回紹介する「困難な結婚」は実用的、という面においてまちがいなくナンバーワンのおもしろさでした。

 

 

いま現在、(未婚であれ既婚であれ)「結婚」についてなにか思うところのある人にとっては、これまで自分のなかにあった固定観念をいい意味でグラグラ揺らしてくれる一冊になっています。

 

 

あわせて結婚生活をつづける上でのコツ考え方についても書かれているのですが、これらが本当に参考になるのです。

 

 

わたしはまちがいなく、この「困難な結婚」を読む以前と以降で、結婚に対する考えが変わりました

 

 

では、こんな一冊「困難な結婚」を紹介するために、まずは内田樹さんがこの本を書いた理由について確認してみます。

 

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本書の「はじめに」でこう書かれています。

 

僕がこの本を書いた唯ひとつの理由は、結婚する前の人たちが読めば「結婚したくなる」ということであり、すでに結婚している人たちが読めば「結婚生活が気楽になる」ということです。

 

 

どうですか。

 

 

もう、ちょっと読みたくなってきませんか? (^^)

 

 

そもそも内田さんによると、「結婚」という制度自体は大昔から存在しており、集団の再生産という本来の趣旨からすれば

 

 

だいたい誰でもできるもの」であるはずなのだといいます。

 

 

そうでなければ困るからです。結婚して子どもを産み育てるというのは「人間としてごくふつうのこと」であって、たとえば例外的な能力や才能がなければ結婚ができない、なんてことになってしまっては、人類なんて今ごろ絶滅しているはずだ、と。

 

 

集団の存続に関わる根源的に重要なこと(=結婚)は「誰でもできる」という条件で制度設計されている。これが内田さんの考えなのです。

 

 

ではなぜ、現在の日本では未婚化が止まらないのでしょうか。

 

 

おそらく多くの方は「格差の拡大」、つまりお金がないことが結婚できない理由だと考えていると思うのですが、 内田さんはそもそもその考え方自体が間違っているといいます。

 

率直に申し上げて、ご自身が「健やか」で「富める」ときは別に結婚なんかしなくてもいいんです。そのほうが可処分所得も多いし、自由気ままに過ごせるし。健康で豊かなら独身の方が楽なんです。

結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障なんです。

結婚は「病気ベース・貧乏ベース」で考えるものです。

 

 

と、こうくるのです。

 

 

さらに同様の趣旨の発言でこんなものもあります。

 

配偶者を選ぶときに絶対見ておかなくちゃいけないのは、「健康で、お金があって、万事うまくいっているときに、どれくらいハッピーになれるか」のピークじゃなくて、「危機的状況のときに、どれくらいアンハッピーにならずにいられるか」、その「危機耐性」です。

 

 

このように、内田さんは一貫して、結婚とは「リスクヘッジ」であり「セーフティーネット」であるという立場に立っています。

 

 

でもこう断言されてしまうと、なんか反発したくなる気持ちも出てきますよね。

 

 

「だからって相手は誰でもいいわけじゃないし、やっぱり愛も必要じゃないか」と。

 

 

でも、愛ってなんなのでしょう

 

 

愛の奇跡とは?

 

 

愛とは相手を100%理解して、相手も自分を100%理解してくれること?

 

 

わたしたちは心のどこかで、

わかり合うこと、現時点では100%じゃないけれど、それをできるだけ100%に近づけていこうとする気持ちや行為、こういったものを愛と呼ぼうとしているようにおもいます。

 

 

でも結婚相手といえど、別の価値観をもって別の人生を生きている他者であることに変わりはないわけで、何十年一緒にいようが相手のことが「わかる」なんてことはありえないのだと内田さんは言います。

 

 

でも、それでいいじゃないか、と。

 

ふたりの距離はわずかだからそれをゼロにしよう、そう思って努力するのはつらいです。そうじゃなくて、二人の間には千里の隔たりがある、それを一生かかって700里までに縮めたいな、と。それくらい控えめな目標を掲げるといいんじゃないでしょうか。

 

 

現在の日本では、ある程度の豊かさはみなが手に入れています。ひとりで生きていく土台は基本的に整えられている。

 

 

そんな中であえて結婚を望む多くの人は、おそらく結婚によってさらに幸せに、そしてより満たされた日常、愛にあふれた人生を手に入れたいと願っているように見えます。

 

 

ですが、内田さんは「愛」についての誤解をこう示します。

 

相手の気持が100パーセント自分に向かっていて、全身全霊をかけて自分を愛し、理解していることが確信されないと不満……というような人は悪いけど「愛」がなんであるかわかっていない。

 

 

ではどんなものなのか。

 

よくラヴ・ソングの歌詞に「抱き合っていても、この人の心はもうここにない」というようなのがありますけれど、これは話が逆だと僕は思います。「心がここにない人」とでも「抱き合う」ことができる。「愛してる?」と訊くと「もちろんだよ」と笑顔で答えてくれる。それでいいじゃないですか! なにを文句言ってるんですか!

理解も共感もできない人と、それにもかかわらず抱き合うことができる。(中略)素晴らしいことじゃないですか。「愛の奇跡」というのはそのことを言うのだと僕は思います。

 

 

 「一家団欒」に対する誤解

 

イメージとして語られる「一家団欒(だんらん)」ですが、昔に比べて今はそういった団欒が失われている、という論調にも内田さんは異を唱えます。

 

少し長いですが、とても説得力があって、わたし自身「なるほど〜」と腑に落ちた文章がありますので紹介させていただきますね。

 

僕は「家族全員がちゃぶ台を囲んで一家団欒をする」家庭で育ちました。たしかに、夕食後1時間から1時間半くらいは「一家団欒の時間」なんです。(中略)でも、それは家族全員がわいわいとおしゃべりをして笑いさざめいているというようなことではありません。

父親は夕刊を読みながら黙って煙草をふかし、母親はちゃぶ台の上に家計簿を拡げて算盤はじいて計算をし、兄はうんざりした顔で宿題をやり、僕は寝転んでマンガを読む。

そういう無言の空間の中でときどき「梨あるけど、剥く?」とか「おい、お茶」とかいう短い言葉が行き交う。そんなもんですよ、一家団欒なんて。

 

 

家族がそれぞれ好きなように時間を過ごしながら、おたがいの邪魔をしないようにしている。そんな一見フツーな、端からみてもけっして愛に満ちているとは言えないような日常こそが、立派に一家団欒が成就している姿なのだと語るのです。

 

 

「ちゃぶ台」や「算盤」などを現代のアイテム(ダイニングテーブルやスマホなど)に置き換えれば、今でもじゅうぶん成立する風景ではないでしょうか。

 

 

たしかに、テレビや雑誌などで美化された結婚生活や家族像がイメージとして定着したことで、「なんでも語り合い秘密がなく、気の利いたジョークを交えながら談笑する」そんな姿が結婚生活だと勘違いしているひとも多いと感じます。

 

 

「アダルトチルドレン」について書かれたある本では、「問題のある家庭」のチェック欄に「家族の間に秘密がある」という項目があったことについて内田さんは

 

家族の間に秘密があるなんて当たり前じゃないですか。他の家族には言えない思いをあれこれ心の奥底に抱え込んでいるけれど、1日に1時間程度はみんな集まって「何もしない」時間を過ごすことだけは欠かさない

 

 

のであれば、それでもう十分立派な家族じゃないか、とここでも私たちに語ります。

 

 

結婚生活のコツ

 

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そんな、美化されたイメージと現実とでギャップの多い結婚生活ですが決して「ありのままでいい」わけではありませんよね。

 

 

複数の人間が一つ屋根の下で暮らす以上、コミュニケーションやお互いへの感情を円滑に行うためには、いくつかのコツもあるのです。

 

 

そのコツや考え方について、内田さんはこの本の中でいくつも明かしてくれていますので、そのうちのいくつかを紹介させていただきます。

 

 

万が一の備えはしないほうがいい

 

たとえば「これからこの国はひどいことになるぞ」というような悲観的な展望を語る人は、「早くひどい国にならないかな……」と内心では心待ちにするようになる、ことがあると内田さんはいいます。

 

 

もちろん、本人がそんなことを願っているとは思っていません。人にそう聞かれても否定するでしょう。

 

 

でも実際にひどい国になったら「ほら、言ったじゃないか」と自分の目を誇ることになる。(自分が住む国がひどいことになれば自分も困ることは明らかであるにも関わらず、です。)

 

 

結婚においても同じことが起きる、と内田さんは言うのです。

 

 

「万が一のことが起きるかもしれないから、それに備えておこう」ということで例えば「結婚契約」なるものを事前に結び、いざというとき揉めないように財産分与や慰謝料について定めておく。

 

 

一見合理的なように見えますが、これはあまりいいことにはならないことが多いということなのです。

 

 

人間、それだけの手間をかけてやってことに対しては、無意識のうちに「あぁ、あのときは手間だったけど、やっぱり定めておいてよかった」と思いたくなってしまうらしいのです。

 

 

そしてそれを実現するため、離婚するように毎日ちょっとずつお互いが結婚生活にうんざりするようなことをするようになる…といいます。

 

 

これは何かの研究結果から明らかだとか、データに裏付けされたような論理ではありません。

 

 

ですが、生身の人間として「ないとは言えないな…」と感じてしまうのはわたしだけではないんじゃないかな、と思います。

 

 

家庭には「ボス」がいたほうがいい

 

内田さんは二度結婚されています。

 

最初の奥さんとは13年間結婚していました。4歳年上で、僕よりずっと社会経験豊かで、生活力もある人でした。

僕は大学を卒業して、そのまま無職になり、ぶらぶらしていたのですけれど、その時に結婚したので、養ってもらっていたようなものです。

 

 

このように向こうが「ボス」で自分が「手下」という関係のときはそれなりに安定していた関係が、自分が定職を得て家計を支えるようになると、しだいに変化してきたといいます。

 

食わせてもらっていたときは何を言われても「はいはい」と従っていて、それで何の屈託もなかったけれど、こちらの方が家計の支え手になると、今度は妻にあれこれ指図されるのが「かちん」と来るようになる。

「オレがこんだけ働いて一家を支えているのに、どうして家事労働について妻に命令されないといけないわけ……」と思うことが止められない。

 

 

つまり、結婚関係はある種の「権力関係」なんだということです。

 

 

どちらかがボス。そうじゃないと安定しない。

配偶者双方が完全に五分五分の経済力をもっている夫婦を「理想的」だと思っている人がいるかもしれませんが、これは一番コントロールが難しい夫婦だと内田さんは言います。

 

知り合いの夫婦で、経済力が五分五分というカップルがいました。仕事の忙しさも同じくらい。だから、家事は全部平等に分けようということに決めました。(中略)でも、相手の担当する家事には一切手を貸さないということになると、家の中って一気に殺伐としてきます。

残業で疲れて家に帰ってきたら、台所に前の日の汚れた鍋や皿が積み上がったままで、配偶者はご飯を待ってテレビを観ているというようなことがあると「ぷちっ」と切れちゃうんです。

 

 

ご自身の経験からもこう実感されています。

 

離婚して小さな娘と二人だけで暮らし始めたら、そういうトラブルはなくなりました。全部僕がやらなくちゃいけないわけですから、家事負担をめぐる気鬱なネゴシエーションをしなくていい。

そのときに、お金を稼ぐことも、家事労働も、それ自体は大した負荷じゃないけど、それを家庭内で適切に「シェア」することは絶望的に難しいことなんだなとしみじみ思いました。

 

 

女性の社会進出など働く環境の変化にともない、共働きの夫婦は増えています。

 

 

こういった家庭像が一般的になっている現代に生きるわたしたちにとって、この内田さんの指摘はとても胸に響いてきます。

 

 

じゃあ、共働きはダメなのか、どっちがボスになるのが理想的なのか。

 

 

きっと「ただひとつの答え」はないのだと思います。

 

 

ですが「家庭にはボスがいたほうがいい」という発想をこの本から得られたことが、わたしにとってはとても大きな収穫となりました。

 

 

まとめ

 

この「困難な結婚」を読むことで、結婚とは、愛とは、そして結婚生活を続ける上でのコツなど、さまざまな角度からハッとする知見を得ることができます。(今回ご紹介した内容はごくごく一部です。)

 

 

正直、まだまだ書きたいことはありますし、紹介したい文章・発想があります。

 

 

じつは今回紹介した内容は、本の中で特段「見出し」や「太字」になっていないような部分も多いです。

 

 

そういうなにげない一文の中に、ひとり(わたしですが…)の人間の生き方や結婚観を変えるほどの力のある言葉が落ちているということです。

 

 

この他の内容については、これから読む方がご自身で拾っていただき、これからの生活に役立てていただければと思います。

 

 

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