こんにちは。歯科衛生士のナカタ コマチです。
先日、かつて関わっていた職場(歯科医院ではなく一般企業です)でお世話になった上司が定年退職するということで、「送る会」に出席してきました。
その方の長年の労をねぎらい、会自体はとても心温まるものだったのですが、会話の端々に違和感を感じる場面がいくつかありました。
ここ数日、その違和感について考えていたのですが、おぼろげながら考えがまとまってきたのでまとめておこうと思います。
「期待しているよ」という言葉の圧力
その会の中で、退職する上司がしきりに言っていた言葉があります。
自分が面接を行い、採用したひとりの若手社員(この春からの異動先が不本意だと落ち込んでいたようです)に対して
「人生は思いどおりにいくものじゃないから。われわれサラリーマンは紙切れ1枚でどこにでも飛ばされる身。不本意でも、異動先で頑張ることが大事。ほら、置かれた場所で咲きなさいってやつでさ。これも期待の表れなんだよ。みんなが、◯◯さんに期待している。それを忘れないで頑張れ」
と、その若手社員を励ましていました。
もちろん、悪気はありません。むしろ善意のかたまりです。
でも、だからこそ、危ないな…と感じました。
そう励まされた若手社員は、「みんなが期待している」という言葉に恐縮しながら、でも「それなら頑張らなくては…!」と自分にカツをいれている様子だったのです。
わたしがすでにその組織を離れているから分かることなのかもしれませんが、
端から見て、その優秀そうな若手社員にいま必要なのは「まわりの期待に応えようと、置かれた場所で咲くために身を削ること」ではないのです。
必要なのは、裏切る勇気
その会社は社員数が数百人規模の比較的大きな会社です。
日本型の経営を地でいくような、いわゆる「終身雇用」を担保するかわりに、さまざまな仕事を数年おきに経験しながらキャリアを重ねる「ジョブローテーション」をおこなっていく風土がのこっています。
定年を迎える上司がその典型なのですが、その会社で長年働いていれば、なにかのプロフェッショナルになれるといった働き方ではなく
社内で顔が利くようになることで得る「調整能力」で勝負するような会社なのです。
残念ながら、こういった風土の会社はもう限界が近いでしょう。
優秀そうな若手社員の方も、心のどこかで、そのことを理解していると思います。
ですが、ああいった場で、自分を採用してくれた上司から「期待しているから頑張れ」と言われてしまうと、どうしても無下にはできないですよね。
「よし、置かれた場所で、目の前にある課題に全力で取り組んでいこう」となってしまうと思います。
わたしはその若手社員の方とは初対面でしたので直接なにかを助言するような立場にないため、その場を客観的にみていました。
そして感じていました。
一方的な期待に対しては、時にはかしこく裏切る能力・勇気が必要なのかもしれない、と。
人の期待やアドバイスは聞くべきか
そこで大切になってくるのが、「じょうずな裏切り方」なのではないかなぁと思うんです。
会社の上司であれ、親であれ、本当に自分のことを思って言ってくれている言葉であっても、それを受け入れるかどうかは本人の意志で決めるべきことです。
親や上司が成功した方法論が通用するとは限らないからです。
時代は変わっていますから、むしろ通用しないことのほうが多いような気さえします…。
でも。
じゃあ。どうすればいいのか。
わたしなりに考えていましたが、この問いに対する答えのヒントになりそうな言葉があったので紹介します。
これからはひとつに依存する時代ではない。
では、「依存」の反対は何か? それは「自立」ではなく「たくさんへの依存」だと思う。
「WIRED」日本版編集長・若林恵
じょうずに期待を裏切り、めざす先は「たくさんへの依存」なのではないでしょうか。
一つの会社、一つの組織へ依存してしまう危険性を避けることは必須ですが、だからといって必要以上に「自立」に意識を向けてしまうと、まわりとの関係性が希薄になり、人生の豊かさという面で、どうなんだろう?とも感じます。
そこで、どっぷりではない「適度な依存関係をたくさん構築する」ことが、これからの時代を生きるカギになる気がするのです。
********************
わたし自身、まだまだはっきりした答えが出たわけではありません。
ですが、人間関係、仕事関係、収入面などのあらゆるケースで「たくさんへの依存」という言葉を軸に、もうすこし考え続けてみたいとおもっているんです。
【今回はこんな記事ですが、本業は歯科衛生士やってます ^^;】
スポンサーリンク